毎日新聞の創刊当時の記事は、漢字と仮名が入り交じり、非常に読みづらい状態になっていました。それは活字の不足がもたらしたものです。

そのために第 12 号からは木版刷りを復活させました。しかしその後も鉛活字にしたかと思えば木版刷りに戻したりするなど印刷には苦労したようです。東京日日新聞の第1号は、二つの欄で成り立っていました。一つは「官書広報」、そしてもう一つは「江湖叢談」という名称の欄でした。官書広報というのは法的な情報を載せる欄で、江湖叢談は社会的なニュースを伝えていました。また大阪毎日新聞も毎日新聞の前身に当たります。この新聞は1876年に大阪日報という名称で西川甫が創刊しました。当初は政党機関紙のような新聞でしたが、その後、買収され、実業界の機関誌へと転身を図りました。そして1888年に大阪毎日新聞と名前を変えました。その後、1911年に大阪毎日新聞が東京日日新聞と合併し、全国紙として歩むようになりました。オンリーミネラル 店舗